第35回伝統的工芸品月間国民会議全国大会 東京大会 開催期間 平成30年11月2日(金)~4日(日)

全国くらしの工芸展
平成30年11月2日(金)-11月4日(日)入場無料
時間/10:00~18:00(2日は11:00開始、4日は16:00終了) 会場/マリンメッセ福岡

本場大島紬

織物

宮崎県

鹿児島県

川連漆器

漆器

秋田県

東福寺椀 朱・黒
1客@7,020円(税込み)

鎌倉彫

漆器

神奈川県

8寸厚皿 タタキ刀痕
販売価格:12,960円(税込)

山中漆器

漆器

石川県

蒔絵盃 1点 税込価格 ¥32,400

南部鉄器

金工

岩手県

南部鉄瓶 丸棗形麻の葉模様 1.0L
佐々木 奈美 作 販売価格 162,000円(税込)

京仏壇 京仏具

仏壇仏具

京都府

川辺仏壇

仏壇仏具

鹿児島県

南九州市

20号 上置仏壇 1,950,000円(税込み)

播州そろばん

文具

兵庫県

播州そろばん 柘玉 23桁
商品価格は、税込み30,000万円

熊野筆

文具

広島県

花の小筆(6種類)
(コスモス1本、キキョウ2本、アサガオ2本、アヤメ1本、スミレ2本、アジサイ2本、
合計10本)
価格(税込):2,160円
サイズ:全長220㎜、穂先部分30㎜(長さ)×7㎜(直径)
穂先原材料:イタチ毛、鹿毛、馬毛
軸:竹(トールペイント・手描)

赤間硯

文具

山口県

野面硯
三寸五分×五寸五分 17,280円

甲州手彫印章

諸工芸

山梨県

尾張七宝

諸工芸

愛知県

尾張七宝 瓶子形紺梅詰花瓶
価 格 ¥1,890,000(税込)

京石工芸品

京都府

石と人間生活との関わり合いは、遠く石器時代から始まります。奈良時代後期、仏教の伝来によって石造文化が生まれました。
その後の石造美術の発展とともに、貴重な文化的石造工芸品が作り出されました。比叡山麓、白川の里からは良質の花崗岩(かこうがん)が切り出される等、材料にも恵まれた京石工芸品は、千年もの間文化の中心であった京都の土地柄に支えられて、他の地方には見られない石工芸の技術を築き上げ、現在にまで伝えています。

播州毛鉤

諸工芸

兵庫県

江戸時代末期に京都から技法が導入され、農家の副業として守り育てられて来ました。時代とともに製品の完成度を高めて、優れた釣りの成果を生むまでに技術が向上しました。
明治中頃には水産博等に出品して数々の賞を受賞し、以後、その品質は多くの釣り師の認めるところとなりました。今日では国内の毛鉤の大部分を生産する産地として、業界の先頭に立っています

京表具

諸工芸

京都府

始まりは平安時代に遡ります。当時、表具は経や書画に布地を貼って補強するためのものでした。それがその後、保存や鑑賞のために、書画等に布や紙等で縁取や裏打ち等をして、掛軸や額に仕立てたり、屏風や衝立、襖にする「表装」一般を扱うようになりました。
京表具のうち掛軸、巻物、額装は、床の間等の和室の装飾用として、また屏風や衝立、襖は部屋の仕切り、風よけ、目隠し用として一般家庭の日常生活に使われています。

江戸べっ甲

諸工芸

江戸べっ甲は、タイマイの甲羅を原料として、独自の鼈甲の張り合わせ技術を用いた工芸品。江戸期の関東地方においては、盛んに和装品が製造されており、現在では和洋装飾品、眼鏡等が製造されています。

江戸木版画

諸工芸

東京都

江戸木版画は、墨一色の版画の上に色を筆で彩色していくようになり、これらは丹絵、紅絵、漆絵として進歩してきましたが、色を板木で摺る工夫がなされ、二、三色の色摺版画(紅摺絵)ができました。さらに、明和2年(1765 年)には、金や銀まで摺り込み、中間色も木版で刷り上げることができるようになり、多色摺りのスタイルが確立されました。
江戸木版画の製造の技術・技法は江戸時代に確立し、その技術・技法は改良を重ねながら発展して今日まで継承され、東京都を中心として伝統的に製造されています。

岡崎石工品

愛知県

始まりは室町時代後期に遡ります。その後、安土桃山時代には、現在の愛知県にあった岡崎城主が、城下町の整備のため河内、和泉の石工を招き、石垣や堀を造らせました。
この石工たちが、その技術・技法に磨きをかけ春日型灯籠、六角雪見型等岡崎石工品の原型を作りました。19世紀の初めに29軒だった石屋は、19世紀の終わりには約50軒に増え、戦前、最盛期には350軒を数えましたが、最近は減少しつつあります。

真壁石燈籠

茨城県

茨城真壁地方は、質の良い花崗岩(かこうがん)が採れることから、古くから石を生活用具として加工、利用していました。
この地方の石材業の起こりは、室町時代末期に真壁町長岡地域一帯で始められた仏石作りであると伝えられています。真壁石燈籠として確認できるものとしては、真壁町の寺院境内にある、文政7年(1824年)に製造されたものが最も古いとされており、これを作った石工によって技術・技法が確立されました。

奈良筆

文具

奈良県

奈良の筆作りの歴史は、今から1200年程前、空海が唐に渡った時に筆作りの方法を極め、日本に帰った後その技法を大和国の住人に伝えたことに始まります。
明治時代以後は、学校教育の制度とともに全国で使用されるようになり、今日に至っています。

阿波和紙

和紙

徳島県

今から約1300年ほど前、忌部族という朝廷に仕えていた人たちが、麻やコウゾを植えて紙や布の製造を盛んにしたという記録が、9世紀の書物に見られ、ここに阿波和紙の歴史が始まります。
以来、忌部族の始祖である天日鷲命(あめのひわしのみこと)を紙の神として崇めまつることによってその技術が伝えられ、現在に至っています。

大阪浪華錫器

金工

大阪府

錫器が日本に伝えられたのは、今から約1300年程前、遣隋使の手によるものと言われています。
鎌倉時代初期に栄西が現在の中国の宋に渡り、茶壷作り職人を連れて来たのが錫職人のルーツとも言われています。江戸時代の中期に大阪に産地が形成されました。

堺打刃物

金工

大阪府

16世紀の中頃、ポルトガル人によって鉄砲、たばこが伝来しました。16世紀の後半には、たばこの葉を刻む「たばこ包丁」が堺で作られるようになり、徳川幕府は堺に「極印」という品質証明の印を与え、専売を許可したために、堺刃物の切れ味と名声は全国各地へと広がりました。
江戸時代中期には、出刃包丁が出現し、その後各種の包丁が作られるようになりました。

越前打刃物

金工

福井県

室町時代の初め頃、京都の刀作りの職人が、刀剣製作にふさわしい土地を求めてこの地にやって来た時、近くの農民のために鎌を作ったことが始まりだったと言われています。
江戸時代には福井藩の保護により、全国で売られるようになりました。昭和54年には刃物産地として、最初の伝統的工芸品の指定を受けました。

東京銀器

金工

東京都

江戸時代中期に、彫金師の彫刻する器物の生地の作り手として、銀師(しろがねし)と呼ばれる銀器職人や、櫛、かんざし、神興(みこし)金具等を作る金工師と呼ばれる飾り職人が登場したことが「東京銀器」の始まりでした。
江戸でこれらの金工師が育った背景には、貨幣を作る金座・銀座の存在、また各大名が集まる政治経済、文化の中心であったことが挙げられます。

山形鋳物

金工

山形県

平安時代の中頃に、山形地方で起こった乱を治めるため、源頼義がこの地方を転戦しました。
その時、軍と行動をともにした鋳物職人が、山形市内を流れる川の砂と千歳公園あたりの土質が鋳物に最適であることを発見しました。これらの鋳物職人のうちの何人かがこの地に留まったことが山形鋳物の始まりとなりました。

都城大弓

竹工

宮﨑県

鹿児島成(なり)の流れをくむ大弓で、江戸時代後期には盛んに作られていたことが記録に残っています。明治時代に入り、川内地区から来住した楠見親子が多くの弓作りの職人を養成しました。豊富な原材料に恵まれたこともあって、昭和初期には、東アジアにまで製品が売られるような大産地になりました。
戦後、低迷期がありましたが、最盛期には30人近くの弓作りの職人が活躍していました。現在でもわが国で唯一の産地として竹弓の9割を生産しています。

紀州へら竿

竹工

和歌山県

紀州へら竿は、竿師の高い技術力で作られるへら鮒用の釣り竿です。
その製造技法は、明治10年代に大阪市で確立し、その後、原材料である高野竹(スズ竹)の産地に近い和歌山県橋本市に根付いて今日に至ります。昭和初期からのへら鮒釣りブームもあり、へら竿づくりは定着し、以後多くの釣り師に愛されてきました。

高山茶筌

竹工

奈良県

室町時代中期、高山領主の子息が、茶道の創始者でもある村田珠光の依頼によって作ったものが始まりです。
以後、その製法は城主一族の秘伝とされ、代々後継ぎのみに「一子相伝」の技として伝えていましたが、後になってその秘伝は、主だった16名の家来に伝えられることとなり、今日まで脈々と伝えられ、現在では、奈良県の高山が全国で唯一の茶筌の産地になりました。

大阪泉州桐箪笥

木工

大阪府

農業をするかたわらに行われた、近所で採れるキハダやキリの木を使った、箱等の簡単な指物作りは、江戸時代中期に始まったと言われています。江戸時代後期から明治時代にかけて一大産地を形成しました。
キリの柾目(まさめ)を活かし、木釘と各種組み接ぎ(くみつぎ)技法を凝らした組立から、磨き着色に至るまで、伝統技法を脈々と伝えています。

大阪唐木指物

木工

大阪府

唐木製品は、奈良時代の遣唐使によって持ち帰られました。珍しい木が使われていたため、この木を唐の木、唐木と呼んだことが唐木指物のいわれです。
江戸時代に入ると唐木材はすべて長崎に運び込まれ、大阪の薬種問屋がこれを引き受けていました。大阪の唐木製品は手作りで、伝統的な技術・技法を用いて、現在の生活様式に合うように工夫、改良されています。

大阪欄間

木工

大阪府

大阪欄間の始まりは17世紀初期で、大阪府内の聖神社や四天王寺等にその伝統技法のもととなる技術がみられます。
その後、江戸時代中期には商家を中心とした一般の住宅の茶の間、客間等の鴨居(かもい)の上に、光を取り入れたり風通しを良くするという実用性と、品格を表すための室内装飾として取り付けられました

京指物

木工

京都府

始まりは平安時代に遡ります。室町時代以後には専門の指物師が現れ、茶道文化の確立とともに、京指物も発展しました。
無垢板(むくいた)を用いた高級和家具の調度指物と、キリ、スギ、クワ、ケヤキ等の木の素材を生かした挽物(ひきもの)、曲物、板物等の茶道具指物があります。

秋田杉桶樽

木工

秋田県

秋田城遺跡から、15~16世紀のものとみられる桶に使った薄板、底板、取っ手等が発掘されています。
江戸時代初期の秋田藩家老の日記に、現在の雄勝町の酒屋で桶が使用されていたという記録が残っています。
角館町の青柳家には、19世紀前半の手桶、櫃、岡持(おかもち)が残っています。これは溜(ため)塗りで銅たが、竹たがが使われています。形は現在のものと同じです。

樺細工

木工

秋田県

樺細工は、18世紀末に、佐竹北家により、秋田県北部の阿仁地方から角館に技法が伝えられたのが始まりとされています。
佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まりました。明治時代に入ると、禄を失った武士が、収入を得るために本格的に取り組んだことで、今日の原型と言える作品が作られるようになりました。

岩谷堂箪笥

木工

岩手県

寿2号車タンス岩谷堂簞笥の始まりは18世紀末に遡ります。当時の岩谷堂城主が家臣に車付箪笥や長持等の木工家具の商品化を研究させたのが始まりとされています。
現在の江刺市にあたる岩谷堂は、平安時代末期に平泉文化を築いた奥州藤原氏の初代清衡が、平泉に移るまでの約30年間、本拠地としていたこともあり、鋳金や木工等の伝統が古くからありました。

大内塗

漆器

山口県

大内塗は、室町時代に現在の山口県のあたりで力のあった大内氏が、朝鮮や明時代の中国との貿易を進めるにあたって、重要な輸出品として奨励したのが始まりと言われてます。
その後、貿易は途絶えてしまいましたが、その技術は、江戸時代以後にも引き継がれ現在に至っています。

越前漆器

漆器

福井県

始まりは古く、6世紀にまで遡ると伝えられています。当時の天皇に冠の塗り替えを命じられた漆塗りの職人が、
黒塗りの食器を献上したところ、その艶の見事さに深く感銘され、製作を奨励されたのが越前漆器の始まりと伝えられています。

伊万里・有田焼

陶磁器

佐賀県

16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加していた佐賀藩主が、朝鮮から連れ帰った陶工の李参平によって、有田泉山に磁器の原料である陶石が発見されたのが伊万里・有田焼の始まりです。
このとき焼かれたものが、日本で最初の磁器であると言われています。
現在、伊万里・有田焼と呼ばれている磁器は、当時伊万里港を積み出し港としたため、伊万里焼とも呼ばれました。青一色で絵付けをした染付から、色鮮やかな上絵付けをしたものまで、色々な表現があります。その様式には古伊万里、柿右衛門、金襴手、鍋島等があり、とりわけ柿右衛門様式や、古伊万里様式の磁器は、その美しさでヨーロッパの人々を魅了しました。伊万里・有田焼は、江戸時代にオランダ商館を通じて大量に輸出されました。

萩焼

陶磁器

山口県

萩焼の起源は、400年前、豊臣秀吉とともに朝鮮半島に渡った毛利輝元が、現地の陶工李勺光(りしゃっこう)、李敬(りけい)の兄弟を伴って帰国したことに遡ります。
陶工たちは、毛利氏が萩に城を移した時も同行し、李勺光は萩で御用品を焼く窯を開くことを許されました。この窯が萩焼のはじまりとなりました。李勺光の死後は、李敬が窯を継ぎ、藩主から「坂高麗左衛門」の名を受け、その名は現在まで受け継がれています。
萩焼の当初の作風は李朝のものでしたが、その後、楽焼の作風などが加わり、現在の萩焼に通じる、独自の個性を持った作品が焼かれるようになりました。

京焼・清水焼

陶磁器

京都府

始まりは平安時代以前に遡りますが、平安京の造営と同時に本格的に焼き物作りが始まりました。それ以来、京都は優れた陶工と名品を次々に輩出しています。17世紀には仁清(にんせい)や乾山(けんざん)という名陶工が現われ、19世紀には頴川(えいせん)が磁器の焼成に成功し、加えて木米(もくべい)、保全(ほぜん)、仁阿弥(にんなみ)等の名工らがめざましく活躍しました。
明治時代に入り、ドイツ人の工芸家ワグネルを招いたことを機に、諸外国の技術が取り入れられ、京焼・清水焼はどんどん発達していきました。

九谷焼

陶磁器

石川県

九谷の鉱山から陶石が発見されたことと、加賀藩の職人が、今の佐賀県有田町で磁器作りの技術を学んで来たことによって、17世紀の半ば頃、九谷の地で始められたのが古九谷焼(こくたにやき)です。古九谷は加賀百万石文化の、大らかさときらびやかさを合わせ持つ、独特の力強い様式美を作り上げましたが、17 世紀の終わり頃突然作られなくなってしまいました。その後、19世紀に入ると再び九谷焼が焼かれるようになりました。
それが再興九谷です。春日山窯の木米(もくべい)風、かつての古九谷の再興をめざした吉田屋窯、赤絵細描画の宮本窯、金襴手(きんらんで)の永楽(えいらく)窯等数多くの窯が現れ、それぞれ特有の画風を作り出し、九谷焼の産業としての地位を築きました。

京友禅 京小紋

染物

京都府

京友禅
染色技法は8世紀から伝わり、手描友禅は江戸時代に京都の絵師宮崎友禅斉によって確立されたと伝えられています。扇絵師として人気の高かった宮崎友禅斉が、自分の画風をデザインに取り入れ、模様染めの分野に生かしたことで「友禅染め」が生まれました。
色数が多く絵画調の模様を着物に染める友禅染は、町人文化の栄えた江戸時代の中期に盛んに行われるようになりました。明治時代には、型紙によって友禅模様を染める「写し友禅染め」が開発されました。京小紋
京小紋の始まりは、基本となる型紙が作られた1200年前に遡ります。室町時代に起きた応仁の乱の後、様々な絹織物が生産されると辻ヶ花染や茶屋染が発達し、京都の堀川を中心として染色の職人町が出来ました。
上杉謙信の紋付小紋帷子(もんつきこもんかたびら)や徳川家康の小花紋小紋染胴服(こばなもんこもんぞめどうふく)等は、小紋の技法を駆使して作られています。この頃に、防染糊を置いたあと引染めする小紋の技術が完成されました。

西陣織

織物

京都府

近江上布

織物

滋賀県

愛知川の豊かな水と高い湿度といった環境や、近江商人の活躍等により、この地方では鎌倉時代から麻織物が発展しました。
江戸時代には、琵琶湖東岸の彦根市の辺りを支配していた彦根藩の振興によりさらに発展し、安定した地場産業となりました。その頃から染めの技術も大きく進歩し、近江上布独特の上品な絣模様が生まれました。

村山大島紬

織物

東京都

村山大島紬の始まりは、江戸時代後期と言われています。
1920年頃、正藍染め(しょうあいぞめ)による錦織物の「村山紺絣」と玉繭による絹織物の「砂川太織(ふとおり)」の2つが合流して、絹織物としての村山大島紬が生産の中心となりました。この素晴らしい品質や丈夫さが高く評価され、東京都指定無形文化財として認められています。