竹工
都城大弓
竹工
宮﨑県
鹿児島成(なり)の流れをくむ大弓で、江戸時代後期には盛んに作られていたことが記録に残っています。明治時代に入り、川内地区から来住した楠見親子が多くの弓作りの職人を養成しました。豊富な原材料に恵まれたこともあって、昭和初期には、東アジアにまで製品が売られるような大産地になりました。
戦後、低迷期がありましたが、最盛期には30人近くの弓作りの職人が活躍していました。現在でもわが国で唯一の産地として竹弓の9割を生産しています。
紀州へら竿
竹工
和歌山県
紀州へら竿は、竿師の高い技術力で作られるへら鮒用の釣り竿です。
その製造技法は、明治10年代に大阪市で確立し、その後、原材料である高野竹(スズ竹)の産地に近い和歌山県橋本市に根付いて今日に至ります。昭和初期からのへら鮒釣りブームもあり、へら竿づくりは定着し、以後多くの釣り師に愛されてきました。
高山茶筌
竹工
奈良県
室町時代中期、高山領主の子息が、茶道の創始者でもある村田珠光の依頼によって作ったものが始まりです。
以後、その製法は城主一族の秘伝とされ、代々後継ぎのみに「一子相伝」の技として伝えていましたが、後になってその秘伝は、主だった16名の家来に伝えられることとなり、今日まで脈々と伝えられ、現在では、奈良県の高山が全国で唯一の茶筌の産地になりました。