江戸木目込人形
江戸時代中期に、京都上賀茂神社で祭事に使う、柳筥(やなぎばこ)の材料である柳の木の残片で、神官が、木彫の小さな人形を作り溝を付けて、そこに神官の衣装の残りの布を挟んで着せ付けたのが始まりだと言われています。
当初は賀茂で作られたため「賀茂人形」と呼ばれていましたが、衣装の生地を木の切れ目にはさみ込んで作るところから「木目込人形」と呼ばれるようになり江戸に伝わりました。
岩槻人形
江戸時代後期の雛祭りや端午の節句は、大切で賑やかな行事であり、そこで大きな役割を果たしたのが人形です。
岩槻人形は、その江戸時代後期から始まり、明治初期には、農閑期に地雛細工人が作っていた節句人形と、士族が内職的に作っていた人形の技術が合流してできたとされる雛人形が、本格的に岩槻で製造され、主に関東を中心に商われ、伝統を伝える人形の重要な供給源となりました。
さらに、明治時代には、五月人形等の岩槻人形は生産拡大の一途を辿り、国内有数の産地並びに江戸時代の面影を伝える貴重な人形の産地に発展しました。