赤津焼の始まりは、奈良時代(700年頃)に焼かれていた須恵器という土器にまで遡り、江戸時代初期に現在ある伝統的技術・技法や名称が確立しました。
桃山時代から江戸時代初期にかけて、志野、織部、黄瀬戸(きぜと)、御深井(おふけ)等、各種釉薬(ゆうやく)の技法が確立されました。尾張徳川家の御用窯として栄え、現在まで続いています。
梅村知弘 織部古典絵合わ盃
飽津窯 宮地生成 鉄釉刻文コーヒー碗皿
加藤大吾 織部高台菊抜飯碗
晴峰窯 梅村晴峰 御深井ぐい呑
野田東山 黄瀬戸香炉
晴峰窯 梅村晴峰 織部線状文徳利
晴峰窯 梅村晴峰 織部平盃
飽津窯 宮地生成 絵織部足付五寸皿
稲垣鑛作 赤津三彩鉢