横浜スカーフ
横浜スカーフは1859年(安政6年)に横浜が開港されて以来、盛んになった生糸の輸出の流れの中で生まれました。工法のひとつである手捺染(てなつせん)とは、型の上に流した染料を、スケージを使い手作業によって染め上げていく手法のことで、横浜スカーフの技術は、120年の伝統職人芸として有名です。世界最高の水準を誇る高度な手捺染技術、丁寧な縫製が特徴で、特に絹の薄地へのプリント技術は世界一とも言われており、明治6年のウィーン万国博覧会や明治13年のメルボルン万国博覧会へ出品されました。
津久井の組紐
津久井の組紐は、大正10年に旧鳥屋村出身の佐藤時太郎氏が東京で創業した工場へ働きに出て技術を習得した津久井の人達が、帰村後次々に製紐業を興したのが始まりです。日本古来の渋みのある色彩から蛍光色まで組み合わせて作り出される組紐は数百種にもおよびます。大正時代後期から主に商業用として広がり、海外にも輸出され、技術的にも高い評価を得ました。
横須賀スカジャン
スカジャンはヨコスカジャンパーの略称で、鷲・虎・龍などのオリエンタルな柄を刺繍したドブ板通りが発祥のジャンパーです。戦後、横須賀に駐留した米兵に向けて、自国へと帰還する際のお土産品、スーベニアジャケットとして作られはじめました。
大山こま
大山こまは大山詣りの代表的な土産品です。江戸時代に木地師と呼ばれる職人が、大山の豊富な木々を使って、お土産用のおもちゃとして独楽(こま)を作り始めたのが起源とされています。大山こまは、紅、藍、紫の3色が同心円状に描かれています。職人によって若干の違いはありますが、どれも回すとこの3色が美しく調和します。また、心棒は、根本が細く、先端に向かって太くなるように削り出されることに特徴があります。これは「寿命独楽(いわゆる喧嘩独楽)」という遊びをする際、他の独楽がぶつかっても倒れにくくするための工夫であるとされます。職人が伝統を守り丹精を込めて作る大山こまは、木肌の温もりを感じられ、よく回ることから「金運がついて回る」、丸みのある形から「円満」などといわれ、商売繁盛や家内安全の縁起物として、今日まで親しまれています。
小田原工芸鋳物
小田原工芸鋳物は、1534年(天文3年)に河内から来住した山田治郎左衛門が鋳物業を開いたことが始まりであると「新編相模国風土記稿(幕末編集)」に記され、城下町・宿場町小田原が栄えると共に発展してきました。主に銅合金の一つである砂張(さはり)による鋳造を得意とし、仏鈴や風鈴は余韻が長く音色がよいため、「鳴物」としての評判が高い工芸品です。
小田原箱根地域の木工製品
小田原・箱根地方の木工製品は、平安時代の初期頃より源流を見ることができます。豊富な木材が伊豆半島から箱根山系にあったことや、東海道の街道往還者や箱根への湯治客の増加にともないお土産品として生産が活発になり、幕末の開港時には下田、横浜へも出荷されました。現在では漆器、小箱類(寄木)、食卓用品、観光工芸品などの多品種の木工芸品産地として、国内外で広く評価を得ています。