岡山の工芸品
Traditional Crafts of OKAYAMA
岡山県の国指定
「伝統的工芸品」の
製作実演・展示販売
岡山県指定の
「郷土伝統的工芸品」の
製作体験・製作実演・
展示販売
岡山県が指定する
「郷土伝統的工芸品」のうち、
8品目が「KOUGEI EXPO」に出展。
歴史ある地域の郷土伝統的工芸品の
魅力に触れていただける、
製作体験や製作実演、
展示販売を行います。
- 備前焼
- 釉薬も絵付けも施さない
土と炎が織りなす芸術品日本六古窯のひとつに数えられ、千年の時を超えて受け継がれる焼き物。釉薬も絵付けも施さず、土と炎と人の技が極限まで競い調和することにより生み出される備前焼は、素朴でありながら表情豊かで奥深い世界観で人々を魅了します。
備前焼の歴史は古く、平安時代にすでに作られていました。日本六古窯の一つに数えられ、千年の歴史を持つ陶器(厳密には「炻器(せっき)」)として全国的に有名です。
室町時代末期頃からその素朴さが茶人たちに愛され、茶道具が多く作られるようになりました。 江戸時代に入ると藩の保護もあり、全国に広まりました。昭和の初期「備前焼の中興の祖」と言われた金重陶陽や藤原啓、山本陶秀、藤原雄が人間国宝の指定を受ける等、順調な歩みを続けました。素朴で重厚な作風、土味の持つあたたかさ、使い勝手のよさに備前焼の特徴がありますが、最大の特徴は「窯変(ようへん)」にあると言えます。窯は主に登り窯や穴窯で、釉薬(ゆうやく)や絵付けを施さず「焼締め」技法で焼き上げられます。燃料には赤松を使用し、約1230℃の高温で約2週間前後薪を焚き続けます。その間、窯の中で作品の表面が、高熱と炎や灰などの作用を受けて変化するのが窯変です。
焼く時の窯の中の状態によって、焼き物の色や表面が変化する自然の産物である窯変のために、備前焼は全く同じ作品がニつと作れない自然の芸術となっているのです。
- 勝山竹細工
- 清々しく美しい
青竹で作る竹細工真竹を切る、割る、削る、そして丹念に編み上げていく。真庭市勝山の地に受け継がれた勝山竹細工は、手仕事の力強さが発揮された実用性の高い竹細工です。農具や暮らしの道具として作られており、使いやすさと丈夫さに定評があります。真竹の清々しい色と甘い香りが最大の特徴です。
かつては「そうけ」「めしぞうけ」などと呼ばれる笊を中心とする農具や家庭用の容器などが生産されていましたが、時代の移り変わりとともにパン籠や盛籠、花器などの日用品も作られるようになり、今日もなお実用性の高い竹細工として愛されています。
材料の真竹は、ほかの多くの竹細工にみられる晒しや皮むきなどの加工を行わず、地元や周辺地域で育った真竹をそのまま用いるのが特徴です。
用途に応じて寸法取りをし、削り、割りを行ったあとに「輪作り」「ござ目編み」等の編み組技法で仕上げます。使い込んで年月が経ち、艶のある飴色に色づいてくると、また一層愛着も湧いてくることでしょう。これも厳選された良質の真竹ならではの魅力といえます。
- 倉敷はりこ
- 愛らしい造形と表情を
一貫した手作業で作り出す150年以上続く
縁起物の郷土玩具 ころんと丸みを帯びたフォルム、鮮やかでカラフルな色彩、どこか愛嬌のあるユーモラスな表情が魅力的な「倉敷はりこ」は、岡山県西部の倉敷地域で明治初期から作られている縁起物の郷土玩具です。わずかな風にも首を動かす「首振り虎」が代表作で、ほかにも干支をモチーフにしたものや各種面の張り子も登場し、多くの人に親しまれています。
その作り方は当時と変わらず、型を作るところから始まります。頭や胴などパーツごとに自作した木型に、和紙と洋紙を6~7枚ほど張り合わせてしっかりと乾燥。木型から紙を取り外したら、彩色しやすくするため「にかわ」を混ぜた胡粉(貝殻を焼いて作った顔料)で白く塗装し、さらに天日で乾燥。こうしてできた型に、何本もの筆を使い分け、慎重に、ときに大胆に筆を走らせ、ようやく1体が完成します。数々の工程を一貫して手仕事で作っていく「倉敷はりこ」。その素朴であたたかな風合いは、インテリアとしても人気が高く、暮らしに彩りを添える工芸品として愛されています。一子相伝で伝統と技を継承明治時代、人形師・生水多十郎が男児の誕生を祝い創作した虎の張り子。その評判が広がり、子どもの成長を願う縁起物として定着したのが「倉敷はりこ」の始まり。以来5代にわたり、伝統と技が受け継がれています。
- 津山箔合紙
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金箔工芸に不可欠。
希少な高級和紙岡山県北部に広がる美作地方はミツマタの一大産地で、紙幣の原料として国立印刷局に納めていることからこの地のミツマタは「局納ミツマタ」とも呼ばれます。津山箔合紙は、そんなミツマタを原料とする高級和紙で、さまざまな工程を経て作られています。ミツマタの葉が落ちる11月頃に刈り取った枝を蒸し、むいた皮を干して乾かした後、釜で煮ます。それを川の水で晒し、叩くなどして繊維をほぐして作る紙素を、簀桁という道具を使って一枚ずつ漉きあげます。こうしてできる津山箔合紙は、やや赤みを帯びて光沢があるのが特徴。薄くてかさばらず、表面がなめらかなことから、金箔や銀箔を挟む「箔合紙」として京都や金沢の金箔工芸に欠かせない存在となっています。県北一帯の和紙作りの歴史は奈良時代までさかのぼることができます。かつては多くの家が和紙作りに携わり、いつしか冬の「川ざらし」はこの地の風物詩となりました。現在、唯一の生産事業者である上田手漉和紙工場が漉く津山箔合紙は、高く評価され、海外にも輸出されています。
- 手織作州絣
- 藍と白が織り成す
シンプルで可憐な絣模様使うほどに肌になじむ
やさしい風合い津山市で作られている「手織作州絣」は、藍色に映える繊細な幾何学模様が特徴の織物。太めの木綿糸が使われていたことから、丈夫な生地として庶民の間で親しまれてきました。模様のモチーフになるのは椿や松、鶴や亀など縁起がいいとされるものが多く、現在ではこれらの図案を組み合わせることで、伝統を受け継ぎながらも新たなデザインを追求しています。手織作州絣特有の繊細な模様を生み出す要となるのが「括り」の工程。紡いだ糸を束にして、模様になる部分を紐でしっかりと括り、染料となる藍が染み込まないようにします。括りの間隔をあえて空けることで模様の濃淡を出したり、緯糸と経糸の両方に括りを施すことで動きのある柄を表現したりと、織工の技術と感性を活かした模様が生み出されていきます。織りの工程を経て、できあがった反物は、着物だけでなくブックカバーやがま口財布、名刺入れといったさまざまな小物に縫製。木綿のやさしい肌ざわりで手になじみ、日々の暮らしに溶け込んでいます。庶民の織物から発展を遂げる津山地方では17世紀初めに綿栽培が始まり、庶民が野良着や座布団にするための織物を作っていました。明治初期に山陰から絵絣の技法が伝わり、その後「手織作州絣」と名付けられ、全国に広まりました。
- 撫川うちわ
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「涼」と「美」が漂う
風雅なうちわ岡山市の撫川地区で作られている撫川うちわは、粋で艶やかなひと品です。うちわの上部に描かれた雲形の模様の中に、一筆書きで俳句を表現した「歌継ぎ」の技法。そして、明かりにかざした時に、俳句の文字とそれに呼応する花鳥風月の絵柄が鮮明に浮き出る「透かし」の技法。まるで美術品のように美しく粋なうちわを生み出しているのは、2つの技法を駆使する職人です。竹を64本均等に割る骨作り、自ら和紙を染める紙作り、透かしの仕掛けを施すため3枚の和紙を寸分の狂いなく張る紙張り。それらの工程をすべて手仕事で行うため、1人の職人が作れるのは年間にわずか150本たらず。そのため、なかなか市場に流通しない幻のうちわとして珍重されています。撫川うちわは、江戸時代前期に庭瀬藩主となった板倉家から、うちわの技術が伝わったことに始まります。江戸時代後期には「撫川うちわ」として天下にとどろいていましたが、明治期に衰退し、戦後は一時消滅。その後、坂野親子が復活させたその技は、現在、保存会「三杉堂」が受け継いでいます。
- がま細工
- 機能性と美しさを備えた
蒜山生まれの暮らしの道具長い準備期間を経て
丁寧に編んでゆく 県北部に位置する蒜山地域で育つ植物「ヒメガマ」。防水性に優れ、軽くて丈夫なことから、その機能性とガマ本来の艶を活かして作られているのが「がま細工」です。かつては、雪が多いこの地域に欠かせない雪駄や蓑などに加工されていましたが、今では大小さまざまな手提げカゴや花筒なども登場し、現代の暮らしに溶け込む用品として広く親しまれています。作り方は当時と変わらず、多くの手間と時間を要します。ヒメガマの栽培から始まり、収穫した後に傷やシミがなく色付きが良いものだけを厳選。編み込み用の小縄も自ら手がけ、ヤマカゲ(シナノキ)から取り出した繊維を手で撚る工程が出来栄えを左右することから、修得するまでに3年はかかるといわれています。こうして用意した材料を木製の織機「こもげた」と錘になる「つちのこ」で編み込み、丁寧な手作業によって生み出されるがま細工。その丈夫さから長く愛用できるのが特徴で、次第に飴色へと変化していく様子も魅力のひとつとなっています。豪雪地域の蒜山で生まれた暮らしの道具約600年前、兵糧を運ぶ背負いかご「こしご」を作ったのが始まりと伝わるがま細工。半年間の準備期間を経て、編む工程が始まるのはちょうど積雪の時期。昔から冬の仕事として、各家庭で作られていたといいます。
- 高田硯
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凛とした佇まいに
気品漂う漆黒の硯 戦国時代以前からの伝統を持つとされる高田硯は、江戸時代には将軍家への献上品として重用され、宮本武蔵も愛用していたと伝わります。この硯の特徴は、気品あふれる漆黒の光沢で、「金眼」「銀糸」と呼ばれる紋様があるものは特に逸品として珍重されてきました。原石は、名勝・神庭の滝近くの山中で採れる高田石。1億4千万年前頃の黒色粘板岩で、硬すぎず軟らかすぎず、キメが細かいため墨がよくおりる石質です。その優秀さは、江戸時代に藩有とすることで乱堀を禁じていた史実からもうかがえます。そんな高田石の自然な形を生かしつつ手作業で仕上げるため、同じ形はふたつと存在しない高田硯。凛とした佇まいに秘めた優しさと温もりも、魅力のひとつとなっています。高田硯が初めて登場すると見られる資料は戦国時代の「牧文書」で、高田城の牧兵庫助が豊後の大友宗鱗に硯を送ったとあります。また、現存する最も古い高田硯は、江戸時代初期の作州高田住村上氏の銘のある品。この頃は盛んに作られており、寺の過去帳にも「硯屋何々」と幾度も記されています。
- 烏城紬
- 唯一無二の糸の紡ぎ方で
やわらかであたたかな織物に幾重もの色が織り成す
美しい縞模様岡山の象徴ともいえる岡山城は、漆黒の佇まいから烏城とも呼ばれる名城。その名を冠した烏城紬は、200年以上受け継がれる織物です。かつては工程ごとに分業で作られていましたが、昭和の中頃から糸紡ぎや染色、整経、機ごしらえ、織りなど、すべての工程を1人で行うようになり、ほかの紬の産地とは異なる製織法へと変化していきました。最大の特徴は、柔らかくしなやかな手触り、軽くてあたたかい着心地の良さ。これを生み出しているのが、糸に撚りをかけない緯糸の紡ぎ方です。やさしく束ねた数本の生糸に、独自改良を加えた紡ぎ機でコイル状に糸を巻き付けることで、空気を含んだようなふわっとした緯糸に。あえて本数を少なくした経糸と重ねていき、唯一無二の感触が紡がれていくのです。縞模様を基本とした柄も烏城紬の魅力のひとつで、草木染めの色糸が織り成す素朴でやさしい風合いは、着物通からも一目置かれています。最近では、巾着やテーブルセンター、ペンケースなど現代の暮らしに寄り添う用品も作られ、広く親しまれています。風土と作り手が育んだ織物江戸時代、児島湾干拓により綿栽培と綿織物が盛んに行われた岡山県南部で発祥した烏城紬。大正時代には製織技術に数々の改良が加えられ、素材も綿から絹に移行。現在の烏城紬の礎が築かれていきました。
- 虫明焼
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茶人にも愛された
飽きのこない色調 瀬戸内海に面し、古代・中世には風待ち、潮待ちの港として栄え、曙の美しさが古くから詩歌に詠まれるなど風光明媚な地としても知られる瀬戸内市邑久町の虫明。その地の良質な山土を主体とする独自の粘土で作る虫明焼は、薄造りの端正な造りと飽きのこない色調が大きな魅力となっています。なかでも、お茶席などでのいろいろな取り合わせで、どの焼き物にもしっくりとなじむやさしい色調を生み出しているのが、天然松灰を主原料に自家精製した透明釉を基本とする灰釉全般や鉄釉、銅釉といった釉薬。これらを使い分ける作品はバリエーション豊かで、酸化と還元を完全に分けない独自の焼成により現れる窯変は、深い味わいを楽しませてくれます。虫明焼の起源は年代的に不明ですが、江戸時代に備前国家老伊木忠興が趣味で茶器・花器などを焼かせたお庭窯が、現在知られている虫明焼の起源とされています。その後、茶人として有名な伊木忠澄(三猿斎)の時代に伝えられた京風の作風や、織部、乾山などの風格も、伝統として受け継がれてきました。